部活の朝練に合わせて起床するから
とーっても眠い(˘ω˘)共働きのお母さんだと
多分もっと早く起床するんだろうなぁ。
オツカレサマデシタッ┏○))ペコ
城崎温泉から車で再度姫路へやってきた私たち。
いよいよ最後の姫路城へ♩
いや、本当に素晴らしくて♡
度肝を抜かれるってこの事だよね☆彡
自分は、枹(ほう)色の城の方が好みですが
ここ姫路城は圧巻でした。
枹(ほう)色の城は豊臣側の家臣が建てた
城の色で、黒い城です♩
過去に、わりとマニアックな場所へ一人旅
する事が多く、色々見てはいるつもりですが、
木造でこの規模は本当にスゴイです。
加えて石垣がもうね、素晴らしくて☆彡
まず、大抵の木造建築はここまで形を残すもの
が数少ないです。創建当時の木材がそのまま
残るという意味ではなく、(⇒残っている
んですよ♩♩♩)時代時代できちんと
後世を見据えたメンテナンスがされており
素晴らしいです。
奈良県や京都府にも、その様な建築物が
沢山ありますね(´艸`*)
外国における建築物は、石の文化が多いので
日本に比べると、わりと残っている事が多く
残らない原因は戦争や侵略による破壊です。
遺跡などを巡るとそれはひしひしと感じます。
姫路城の場所
姫路城のあれこれ歴史
人物から見た歴史
<<創建者>>
◆赤松氏
播磨と言えば、赤松氏。元は村上天皇の子孫と
言われているが、8代目に武家となり「赤松」を
名乗るようになる。(諸説あり)
後醍醐天皇側の武将として、赤松則村(円心)は
楠木正成・新田義貞・足利尊氏らと共闘した。
室町幕府では、四職の地位についていた。
(赤松氏・一色氏・京極氏・山名氏)
播磨は、赤松家の所領であっても、実際は各地を
分割統治している状態であり、群雄割拠。
その隙を、織田信長から命を受けた羽柴秀吉に
攻められることとなる。
(別途、明智光秀が丹波攻めの命を受けていた)
そして織田信長と対立する毛利家の播磨侵攻。
羽柴秀吉と別所長治との2年にわたる
「三木合戦」が有名。
一番つらいと言われる籠城戦となった戦いで
羽柴秀吉によって三木城が包囲され
相手方の別所長治側には、多数の餓死者が
出ることなってしまったとのこと。
一説によると長治側は、浄土真宗の門徒など、
東播磨辺りから約7,500人を集めたそう。
秀吉側には、有名な軍師の一人である
竹中半兵衛が付いていおり、兵糧攻めを
実施することになった。
いや、本当にこの頃の播磨地域の武将たちは
難しい舵取りだった事でしょう(;’∀’)
◆池田輝政
元は、織田信長の家臣であった池田恒興の次男。
幼名、古新(こしん)。
本能寺の変の後は、秀吉に仕えた。
小牧・長久手の戦いで、家康軍に父と兄を討たれ
輝政が池田家を継ぐこととなった。
その後は、羽柴秀吉の主要な合戦に従軍。
秀吉の仲介で、家康の次女督姫を娶る。
池田輝政には糸姫という正室が居たが
(荒木村重傘下の中川清秀の娘)
離縁して督姫を迎え5男2女をもうけた。
実は督姫自身も再婚で、
一度目は北条氏直に嫁いでいた。
良く良く考えると池田さん
世渡り上手ですよね~(;’∀’)
元々は信長・秀吉側の人間ですが、督姫を
娶ってから徳川側へ↑↑↑
池田氏は、後に鳥取城および岡山城へ転封。
◆本多忠政/本多忠刻(早世)/本多政朝(次男)
本多忠政は、徳川家康の重臣である
本多忠勝の長男。
姫路城を更に増築。
本多忠刻(早世)/本多政朝(次男)らは
本多忠政の子ども。
千姫は本多忠刻の正室であり、
西の丸および武蔵野御殿を化粧料で造営。
化粧櫓(やぐら)は千姫が建てたもの。
姫路城本丸の西側にある、化粧櫓と多門櫓
などの櫓群がその時の遺構。
千姫は再婚で、一度目は豊臣秀頼に嫁ぐが
大阪夏の陣にて死別。
その後本多忠刻と再婚するが、
忠刻も早世してしまう。
この時代の女性は、政治の道具として輿入れ
する事を強制されていましたから、
とても大変だったでしょう(;´・ω・)
その中でも、お互いに想い合える相手と
巡り合える事ができた人は幸せですねぇ☆彡
歴代城主および保存活動に尽力した人物
赤松氏、小寺氏、黒田氏、羽柴氏、木下氏、
池田氏、本多氏、榊原氏、松平氏、酒井氏
<<歴史>>
姫路城の始まりは、赤松氏が姫山に築いた山城。
現在の姫路城は、四代目で池田氏により築城。
徳川勢力による、豊臣勢力の西の抑えとして
機能した。白い漆喰仕上げにより、
白鷺が羽を広げるさまに見えることから
『はくろじょう』『しろさぎじょう』と呼ばれる。
現在残っている規模は、全盛期の1/3程。
昭和31年(1956年)から昭和の大修理が行われた。
<<その他重要人物>>
中村重遠大佐
廃藩置県が行われ、姫路城自体も解体の危機に
さらされていた。中村大佐の働きかけで、
陸軍卿山県有朋に姫路城の存続を意見書提出し
姫路城は保存されることとなった。
感謝永遠に~
姫路観光に役立つサイト
姫路城公式サイト
私のお勧め☆彡
何と、昭和の大修理の図面がpdf化して
あって見ることが出来るんです(*‘∀‘)
面白いですよ~♩
姫路城・昭和の大修理工事図面
城郭の詳細な研究書や書籍に関して紹介している
(武士や町人の暮らしについても)
姫路市城郭研究室
元旅行会社の方のサイト
小ネタもあって博学です(*‘∀‘)
姫路城の考察が細かくて圧巻です♩
各パーツ(門・石垣・狭間・石落し・天守など)
ごとに、詳しく写真と考察が載せられており
勉強になり楽しいです(*‘∀‘)
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
そう言えば、城が失われた原因として、
明治維新による政変革命が挙げられます。
(私の中で、明治維新=コンプレックスだらけの
田舎侍が国際金融資本家に丸め込まれて
引き起こしてくれちゃった件と認識してます)
加えて大きな理由が戦火によるものでしょう。
第二次世界大戦の空襲で焼けて
しまった城も多いかと思いましたが、
姫路市も例外なく爆撃されていました。
奇跡的に焼失しなかったのは何故なのか
不思議に思っていましたが、下記のような
考察もあるので参考になりました(‘ω’)ノ
いや~ほんと良かったよね(*‘∀‘)♡♡♡
神戸新聞NEXTより
『なぜ大空襲で姫路城は無傷だったのか
奇跡の歴史を探る』より
それでは、What was fun for you today?
スイがお送りいたしました♩
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