メルハバ!Merhaba!!
スイです♩
今回はアンタルヤ/Antalya 近郊の
ペルゲ/Perge/Perga
です。
アンタルヤは、トルコの一大リゾート地です♩
地中海沿いで一年中温暖であり、海岸線は美しく
少し足を伸ばせば周りの遺跡群を楽しめます☆彡
ペルゲの位置
シリアから再入国後に、アンタキヤ⇒
アダナ⇒アンタルヤと移動し
近郊の遺跡を散策しました(*‘∀‘)
アンタルヤ近郊で有名な遺跡と言えば、
ペルゲ/Perge/Perga
アスペンドス/Aspendos
シデ/Side(写真が残っていないか、未訪(;’∀’))
ですね~☆彡
ペルゲ、アスペンドス、シデ、(テルメソス)
の遺跡は、全てローマ帝国以前の時代
ギリシャ時代の都市国家に遡るとのことです☆
日本人に地理的にもローマ帝国だった国々が遠い
せいか、いまいちピンと来ませんが…
列柱や円形劇場や競技場が残っている
≠(ノット イコール)ローマ帝国時代が【起源】
と言うことなのですね~
ギリシャ時代が【起源】なのだそうです
あっ、勿論残っている遺跡自体は
ローマ帝国時代の物が多いそうですが(*‘∀‘)
ペルゲは、アンタルヤ中心部から北東に直線距離
で約18キロの位置にあります♩
ペルゲの歴史と概要
元々は紀元前1500年頃にヒッタイトの人々が
住んでいた古代パンフィリアの首都であった。
紀元前1200年~1000年頃?トロイ戦争後に
移住してきたギリシア人(人種的にはドーリア人)
によって建築されたとも。
ドーリア人とは?!
紀元前546年ペルシア人によって支配される。
その後、紀元前333年アレクサンダー大王により
マケドニア領土として支配される。
その後、紀元前188年ローマ帝国の支配下に
なり後に最盛期を迎える。
ペルゲ最盛期に、聖パウロがアンタルヤで
布教を行った際にペルゲに滞在した記録が
残っている。
ビザンチン帝国時代に、
アクス川(Akus Stream)の水量減少で
海へのアクセスが出来なくなると同時に
人口減少により衰退していった。
ペルゲの見所
劇場
競技場
ローマの城門(南門)
セプティミウス・セベルス広場
泉
プロフィロンと浴場(2世紀)
ヘレニズムの門(紀元前3世紀)
アゴラ(2世紀)
アルカディア通り
浮き彫りのある円柱
泉
パラエストラ
西の浴場(3世紀)
聖堂(5~6世紀)
アクロポリス
アルテミス神殿
⇒(丘の上に存在したと言われている)
ペルゲの地図
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
( ≖ᴥ≖)え~っと、やはりフィルムをケチった
弊害でほとんど写真がないですねぇ…
1997年当時は、あまり手も説明なども
加えられていない印象でした(˙˘˙)ஐ♩
もう少し真剣に写真を残すべきでした…
現在はだいぶ列柱なども美しく手入れされて
いる写真を見ますが、諸行無常な感じも
残してほしいかな~☆彡
⇒単なる我が儘クレーマーみたいですね(;’∀’)
ペルゲの写真たち(タイムスリップ海外旅行)
ペルゲ
ヘレニズムゲート裏側
(だったと思ふ 浴場っぽい気も)
主がおらず寂しそうですね~
ペルゲ
ヘレニズムゲート裏側
(だったと思ふ 浴場っぽい気も)
飾られていた彫像の本体は、博物館にあります☆彡
ペルゲ モザイクタイル
可愛らしいモザイクタイルの通路です(´艸`*)
ペルゲ 競技場裏側
競技場の裏側にあるアーチ
ペルゲ 競技場裏側
競技場の裏側にあるアーチ 少しアップで
ペルゲ 競技場
競技場の保存状態はあまり良くないかも…
色々見過ぎて目が肥えちゃって怖いわぁ♡
ペルゲ 競技場
競技場 Part2
ペルゲで出土しペルゲから盗掘された歴史的遺物
である、ヘラクレス石棺が2011年スイスへと
密輸され、2015年にトルコへ返還された
とのことです(*‘∀‘)
返してもらえて良かったねぇ(*’ω’*)
ペルゲは今はだいぶ修復されて更に浪漫を
感じる場所になっている様子です♩
今回もありがとう(´艸`*)
Teşekkür ederim
それでは、What was fun for you today?
スイがお送りいたしました♩
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