トルコのリゾート地【アンタルヤ/Antalya 近郊 ペルゲ/Perge/Perga】 0034

Travel To Turkey(トルコへの旅)

メルハバ!Merhaba!!
スイです♩

今回はアンタルヤ/Antalya 近郊の
ペルゲ/Perge/Perga
です。
アンタルヤは、トルコの一大リゾート地です♩
地中海沿いで一年中温暖であり、海岸線は美しく
少し足を伸ばせば周りの遺跡群を楽しめます☆彡

ペルゲの位置

シリアから再入国後に、アンタキヤ⇒
アダナ⇒アンタルヤと移動し
近郊の遺跡を散策しました(*‘∀‘)

アンタルヤ近郊で有名な遺跡と言えば、
ペルゲ/Perge/Perga
アスペンドス/Aspendos
シデ/Side(写真が残っていないか、未訪(;’∀’))
ですね~☆彡

ペルゲ、アスペンドス、シデ、(テルメソス)
の遺跡は、全てローマ帝国以前の時代
ギリシャ時代の都市国家に遡るとのことです☆

日本人に地理的にもローマ帝国だった国々が遠い
せいか、いまいちピンと来ませんが…

列柱や円形劇場や競技場が残っている
≠(ノット イコール)ローマ帝国時代が【起源】
と言うことなのですね~

ギリシャ時代が【起源】なのだそうです

あっ、勿論残っている遺跡自体は
ローマ帝国時代の物が多いそうです
が(*‘∀‘)

ペルゲは、アンタルヤ中心部から北東に直線距離
で約18キロの位置にあります♩

ペルゲの歴史と概要

元々は紀元前1500年頃にヒッタイトの人々が
住んでいた古代パンフィリアの首都であった。

紀元前1200年~1000年頃?トロイ戦争後に
移住してきたギリシア人(人種的にはドーリア人)
によって建築されたとも。

ドーリア人とは?!

紀元前546年ペルシア人によって支配される。
その後、紀元前333年アレクサンダー大王により
マケドニア領土として支配される。

その後、紀元前188年ローマ帝国の支配下に
なり後に最盛期を迎える。

ペルゲ最盛期に、聖パウロがアンタルヤで
布教を行った際にペルゲに滞在した記録が
残っている。

ビザンチン帝国時代に、
アクス川(Akus Stream)の水量減少で
海へのアクセスが出来なくなると同時に
人口減少により衰退していった。

ペルゲの見所

劇場
競技場
ローマの城門(南門)
セプティミウス・セベルス広場

プロフィロンと浴場(2世紀)
ヘレニズムの門(紀元前3世紀)
アゴラ(2世紀)
アルカディア通り
浮き彫りのある円柱

パラエストラ
西の浴場(3世紀)
聖堂(5~6世紀)
アクロポリス
アルテミス神殿
⇒(丘の上に存在したと言われている)

ペルゲの地図

トルコ ペルゲ 地図

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

( ≖ᴥ≖​)え~っと、やはりフィルムをケチった
弊害でほとんど写真がないですねぇ…

1997年当時は、あまり手も説明なども
加えられていない印象でした(˙˘˙)ஐ♩
もう少し真剣に写真を残すべきでした…

現在はだいぶ列柱なども美しく手入れされて
いる写真を見ますが、諸行無常な感じも
残してほしいかな~☆彡
⇒単なる我が儘クレーマーみたいですね(;’∀’)

ペルゲの写真たち(タイムスリップ海外旅行)

ペルゲ

ヘレニズムゲート裏側
(だったと思ふ 浴場っぽい気も)
主がおらず寂しそうですね~

トルコ ペルゲ ヘレニズムゲート1

ペルゲ

ヘレニズムゲート裏側
(だったと思ふ 浴場っぽい気も)
飾られていた彫像の本体は、博物館にあります☆彡

トルコ ペルゲ ヘレニズムゲート2

ペルゲ モザイクタイル

可愛らしいモザイクタイルの通路です(´艸`*)

トルコ ペルゲ モザイク

ペルゲ 競技場裏側

競技場の裏側にあるアーチ

トルコ ペルゲ 競技場アーチ1

ペルゲ 競技場裏側

競技場の裏側にあるアーチ 少しアップで

トルコ ペルゲ 競技場アーチ2

ペルゲ 競技場

競技場の保存状態はあまり良くないかも…
色々見過ぎて目が肥えちゃって怖いわぁ♡

トルコ ペルゲ 競技場1

ペルゲ 競技場

競技場 Part2

トルコ ペルゲ 競技場2

ペルゲで出土しペルゲから盗掘された歴史的遺物
である、ヘラクレス石棺が2011年スイスへと
密輸され、2015年にトルコへ返還された
とのことです(*‘∀‘)

返してもらえて良かったねぇ(*’ω’*)
ペルゲは今はだいぶ修復されて更に浪漫を
感じる場所になっている様子です♩

今回もありがとう(´艸`*)
Teşekkür ederim

それでは、What was fun for you today?
スイがお送りいたしました♩

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