0009 シリア 内戦以前の紛争地帯【ゴラン高原/Golan Heights/القنيطرة】

Travel To Syria(シリアへの旅)

اَسَّلاَمُ عَلَيْكُمْ

アッサラーム アライクム
スイです♩

前回はダマスカス(ディマシュク・アッシャーム)
دمشق الشام
についてでした。

今回はゴラン高原(クネイトラ)です。
القنيطرة

シリアにてレバノンのビザを取得し
レバノンへ出国
(ベイルート・バールベック・トリポリ)、
その後レバノンからシリアに戻りました♩

★☆★☆★☆レバノンからの再入国後★☆★☆★☆

ゴラン高原(Golan Heights)

海外のバックパッカーに、警察署か何処かで
パーミッションを取得出来れば、
ゴラン高原に行けるらしいと情報を貰った事が
きっかけだったと記憶しています
→→→1997年10月時点
(2010年に訪れた方の情報ですとダマスカスの
クネイトラ自治区事務所で取得したらしいです)

ゴラン高原について

■ゴラン高原は、イスラエル・レバノン・ヨルダン
およびシリアの国境が接する標高700~800mの高原
以前はシリア高原と呼ばれていた

■シリア南西部に位置しており、ゴラン高原と言えば
 クネイトラの事

■ヨルダン川の水資源を握るには、重要拠点である

■ヨルダン川流域を見渡せることから、
 軍事戦略上重要な拠点である
■農耕や果物の栽培に適した肥沃な土地である
■近年、大量の原油が埋蔵されていることが
発見され、採掘が始められている

■早く返すべき所に返るといいのですが、
 なかなか難しいのかもしれませんね…

■1997年当時、国連の軍隊が駐留しており、
 国連軍のトラックが走っていた記憶があります

ゴラン高原の紛争の歴史

信じるか信じないかは貴方次第!の変な髪形してる
関さん
の功罪でしょう(*‘∀‘)実際本当に資本家達が
今までにどれだけ戦争を起こしているかが
上手く隠されちゃっている感じがしますよ(;´・ω・)

陰謀論ってくくられてしまうと、
それ以上は真剣に考えようと
しないもんねぇ💦
歴史や物事を見るとき、お金の
流れを追いつつ誰が得をするか
を考えると見えてくるよ

日本の明治維新に裏から多大な影響を与えていた
ロスチャイルド家ですが、ここゴラン高原でも
紛争の原因を先鋒隊として、作ることに成功しています。
シリアは、フランスの植民地であった過去があります。

1894年、フランス系ユダヤ人の銀行家、エドモンドデロスチャイルド男爵は、ゴランのユダヤ人居住地のために広大な土地を購入しました。彼の後には、米国、カナダ、ヨーロッパの他のグループが続きました。ユダヤ人の植民地化が試みられましたが、アラブ人の敵意とオスマン帝国の土地法によって挫折しました。第一次世界大戦後、ゴランはシリアのフランス委任統治領の一部となり、1941年に独立したシリアに渡されました。 1948年から49年のアラブ・イスラエル戦争後、シリアは、すべてイスラエルのフラ湖、ガリラヤ湖、ヨルダン川上流の谷を支配するゴラン高原の西側の頂上を強化しました。これらのセクションでは、多くのイスラエルの民間人がシリアの大砲と狙撃兵の射撃によって殺されました。農業と漁業は困難になり、時には不可能になりました。6日間戦争の最後の2日間(1967年6月9〜10日)、イスラエル軍はエジプトとヨルダンを破った後、彼らの注意をシリアに向けた。イスラエル空軍のカバーの下で、エンジニア軍は急なゴラン高原にアクセス道路を建設し、その後、装甲車両と歩兵によって正面から攻撃されました。シリアの擁護者とアラブの住民のほとんどは逃亡し、シリアは休戦協定を求めた。戦闘は6月10日に終了しました。高原はイスラエルの軍事政権下に置かれ、ゴランはイスラエルの通信と財政の枠組みに統合されました。ほとんどがシリアの市民権を拒否して保持したが、ほとんどがドゥルーズ派のアラブ人の5つの村が残り、イスラエルの市民権を提供された。 1970年代後半までに、30近くのユダヤ人入植地が高台に設立され、1981年にイスラエルが一方的にこの地域を併合しました。

Wechsel/ゴラン高原/歴史、地図、事実より 2020年8月8日の記事


元々ここには、イスラム教のドルーズ教徒が多く住んで
いました。
11世紀にエジプトで産まれた宗派で、
現在でも、レバノン・シリア・エジプトなどで100万人
近くの信徒を有しています。

22.表面上はより問題があるように見える西側正面だが、実際には、そこで起きたほとんどの事件が最近、ニュースのヘッドラインを飾るようになった東側正面よりは 複雑ではない。レバノンが5つの地域に分断されたことは、エジプトシリアイラク、そしてアラビア半島を含むアラブ世界全体の崩壊のさきがけとして役立つ。それらの国家は既にその轍を踏んでいる。シリアイラクが、独特の地域であるレバノンのように宗教的に、あるいは民族的に分解することが、東側正面のイスラエルの長期的な政策となり、それらの国家の軍事力の分裂が短期的に初歩的な目標となる。シリアはその民族的、宗教的な構造に従って、今日のレバノンのようにいくつかの国家に分裂するだろう。海岸にはシーア派アラウィが、アレッポにはスンニ派が、その他スンニ派地域でダマスカスが北部に敵対心を燃やし、ドルーズが我々のゴラン高原、ホーラン、そして北部ヨルダンに国家を構えるだろう。国家政策は地域の平和と安全をもたらし、その目標は今日、我々の手の届くところに既にあるのである。(14)

「世界シオニスト機構1980年代戦略」全文日本語訳

イスラエル憎しでは問題は解決しないよ
あの場所にイスラエルが存在し続ける事で
誰が得をするんだろうと考えてみよう(*‘∀‘)

ゴラン高原の写真たち

ゴラン高原(クネイトラ) その1

爆撃で完全に破壊された家屋

ゴラン高原(クネイトラ) その2

残る建物にも有刺鉄線がびっしり巻かれています

ゴラン高原(クネイトラ) その3

おそらくメインストリートだったのでしょう…
通りを挟んで両脇は、完全に倒壊しています

ゴラン高原(クネイトラ) その4

大きそうな建物も…どれだけの爆撃があったのでしょう

ゴラン高原(クネイトラ) その5

クネイトラのモスクの塔

ゴラン高原(クネイトラ) その6

クネイトラのモスクをバックに

非番の兵士?非番のポリス?とおっしゃっていました
非番の方が、パーミッションを取って訪れる人々を
案内してくれるシステムでした

1997年当時、インフラもあまり復旧していなかったのか、
この方のお友達が薪でお湯を沸かし、
紅茶を御馳走してくれました


ゴラン高原(クネイトラ) その7

完全に倒壊した街並みです


ゴラン高原(クネイトラ) その8

有刺鉄線の向こうはイスラエル

ゴラン高原(クネイトラ) その9

有刺鉄線の向こうはイスラエル

ゴラン高原(クネイトラ) その10

こんな場所にレストラン?!と驚きました

色々と、難しい場所です…
国民の皆さんが安心して暮らせるよう
問題が解決されることを祈っています。

私はシリアのごく一部しか訪れていませんが、
シリアは歴史が深く、見どころが多く美しく楽しい国
なので、本当に本当に勿体ないです。

(本来ならきちんとリソース管理すれば
 観光で立国出来る位かなと思います!)


次回はボスラ
بصرى
です♩

مع السلامة
マアッサラーマ!

それでは、What was fun for you today?
スイがお送りいたしました♩

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