メルハバ!Merhaba!!
スイです♩
気が付いたら、もう2021年も終わりです ε≡≡
2019年の末辺りから続くこの騒動で、
モヤっとしますねぇ(´・ω・`)
ただ一つだけ…テレビ・新聞・大手ネットの
垂れ流す情報を鵜呑みにせずにね~
ある物事が生じるとき『誰が得をするのか』
という事を念頭に置きつつ、多角的・長期的に
分析してみるように気を付けています♩
一つの見方としてポイントになるのは、
資金の流れ(‘ω’)ノ
★★★ビスマルクの格言を一つ★★★
Nur ein Idiot glaubt,
aus den eigenen Erfahrungen zu lernen.
Ich ziehe es vor,
aus den Erfahrungen anderer zu lernen,um von
vorneherein eigene Fehler zu vermeiden.
『愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ』
ここ数年は、『武力』を使用していませんが、
手を変え品を変えですよ(;’∀’)
スイのトルコ覚書|´꒳`)チラ♥︎。
年代ごとに見てみよう(‘ω’)ノ
284年:ディオクレティアヌスが即位
最後の軍人皇帝
共和制とは違い、皇帝を神格化しつつ
帝国を分割統治する方式をとった
キリスト教に対して、厳しい迫害を行った
四分統治/四帝分治/テトラルキア
と呼ばれているが、絶対的な権力は東の正帝が
握っており、専制君主制であった
東の正帝 ディオクレティアヌス
東の副帝 ガレリウス
西の正帝 マクシミアヌス
西の副帝 コンスタンティヌス(あの大帝の父)
ディオクレティアヌスの凄いところは、
歴史書を信頼するならば、両親が奴隷出身で
最下層から身を立てたという所でしょうか
日本の豊臣秀吉みたいな立身出世噺ですね☆彡
自分を神格化するのに弊害であったキリスト教
への迫害は苛烈だったそうです
それだけ、巷では広まっていた様子です
もう一つ興味深いのは、彼の皇帝としての引き際
でしょう(*‘∀‘)
いつまでも地位に固執して、辞めない人物…
いっぱいいるもんねぇ☆彡
312年:コンスタンティヌス大帝が再度統一
分裂状態であった国内を、再統一
313年ミラノ勅令でキリスト教を公認
・330年:コンスタンティノープル
ローマ帝国首都に
元々は、ギリシア人が建設した、植民市
ビザンティオン(ビザンティウム)
その当時から、現在のトルコ・シリア・イラク
辺りは、軍事的にも非常に重要視されていた事が
想像できますね(*‘∀‘)
イスタンブールの前身、コンスタンティノープル
なんと1700年近くの歴史があるんです☆彡
★ローマ帝国(専制君主制時代)の遺跡や展示物★
『アヤイリニ教会』 ⇒ トプカピ サライ
『ディヤルバクル城塞』⇒ ディヤルバクル
395年:東ローマ帝国支配下に(ビザンツ帝国)
テオドシウス1世により、帝国を分割して相続
させた為、東西に分裂
西ローマ帝国は、ゲルマン人の大移動とフン人の
侵入の影響により、紀元475年滅亡する
東ローマ帝国は、ゲルマン人の侵攻の影響が
少なく滅亡することは無かった
ササン朝ペルシアやスラヴ人との紛争で
徐々に国土を減らしつつ、紀元1453年まで
1000年以上存続した
★★★東ローマ帝国時代の遺跡や展示物★★★
『テオドシウスの城壁』 ⇒ 旧市街(歴史地区)
『ガジアンテップ城塞』 ⇒ ガジアンテップ
『イエレバタン・サルヌジュ』
⇒ イエレバタン
『アヤソフィア』 ⇒ トプカピ サライ
『イエレバタン・サルヌジュ』や
『アヤソフィア』はイスタンブールの
有名な名所だよね♡
7世紀頃:トルコ東部/シリアなどがササン朝ペルシア支配下に
(‘ω’)ノ
ちなみに、ササン朝ペルシアは、イラン東北部に
興ったパルティア(『史記』では「安息」と
呼ばれていた)を3世紀に破ってイラン周辺を
統一していた☆彡
紀元2世紀から紀元3世紀にも
ローマ帝国と抗争を起こしていた
363年にユリアヌス帝を破った事案が有名
(パルティア遠征と呼ばれているが実際は、
ササン朝ペルシアとの戦い)
再び現在のイラン周辺を手中に収めた
ササン朝ペルシアに領土を奪われる
(以前は、アレクサンダー大王が来る前
アケメネス朝ペルシアの時代)
ず~っと、小競り合いは数百年続いて
いたわけですね(;’∀’)
今回もありがとう(´艸`*)
Teşekkür ederim
それでは、What was fun for you today?
スイがお送りいたしました♩
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